2006-01-03 15:08:08
「となり町戦争」三崎亜記 [ 本の感想 ]
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三崎亜記(みさきあき)1970年福岡県生まれ。熊本大学文学部史学科卒業。福岡県在住。
第17回小説すばる新人賞受賞作です。
サラリーマンの北原修路は舞坂町に住む若者ですが、突如として町の広報で隣町と戦争が始まったことを知らされます。そして、町役場から「戦時特別偵察業務従事者」に任命され、戦争の実感がつかめないまま、舞坂町職員、総務課となり町戦争係の香西瑞希と一緒に隣町にアパートを借りて済むことになります。
戦争といっても大規模な戦闘行為があるわけでもなく、町の戦車が隣町に攻めていくわけでも、隣町の空襲があるわけでもありません。生活はいつものとおりに過ぎていき、隣町にも簡単に行き来できます。
ただ町の広報の片隅には「戦死者12名」と記載があり、修次の目につかないところで確実に戦争は行われ、それによって戦死者まで出ているようです。
ここに描かれている戦争は、私たちが普通に考える戦争とはまるで違っています。だいたい隣り合った町同士が戦争して何の得があるのか分かりませんが、ここでの戦争は、行政によって綿密に計画され、議会の承認を得、国からの補助金をもらい、あろう事か戦争相手の隣町とも協議を重ねて、計画通りに実行されています。
それはもはや戦争というより、公共事業に近い物のようです。実際このお話の中では戦争は公共事業であり、役場は決められた方針どおり戦争を遂行して行きます。町民達のほとんどは公共事業である戦争に協力的で、戦争の是非について議論することもありません。正義感に燃えた若者や、体制批判が好きな連中が戦争反対を叫ぶくらいで、住民の大勢が戦争を生活の一部として受け入れているのも公共事業と思える一因でもあります。
修路が出会った役場の担当者としての香西さん。役場職員として、戦争を遂行する立場にあり、そのためには修路と偽装結婚までして隣町に潜入し、性処理さえ業務としてこなします。
彼女を通して戦争を実感するうちに、役場職員の業務としての顔と、弟をこの戦争で亡くした姉としての顔、生身の人間としての顔がないまぜになった存在として感じますが、結局は修路とは別の世界に生きる人間として別れていく事しかできない運命を受け入れます。
この小説で、戦争が何を現しているのか。住民のあずかり知らぬところで決められ、いったん走り始めると犠牲者が出ようと簡単は止められない公共事業のことか?。
それとももっと一般的な、私たちが生きている社会という理不尽なシステムに向けられているのか。
その答えを簡単に出すことは、私にはできません。「ここでの戦争はこれを意味してるんだ」と何かに決めつけてしまった瞬間に、勝手な読み替えができあがってしまいそうな気がして、ためらってしまうのです。
ただ、修路が突然巻き込まれた隣町との戦争という理不尽の状況。それを遂行しようとする大きな力と、その歯車として振る舞う魅力的な香西さんの存在が、そのまま圧倒的なリアリティを持って読者に迫ってきます。
さらに、著者の経歴がどんな物か分かりませんが、町役場の書類や公共事業に対する考え方、町民とどう折り合いをつけ、行政がどういう形で事業を遂行するかなど、公務員でなくては知り得ないような情報が詰まっていて、それが物語にリアリティを与えていることが言えると思います。
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ぷっすま 放映!「夢本舗のザッハトルテ」極上スイーツお取寄せおすすめ度 :
楽天スイーツでブームを作った「夢本舗のザッハトルテ」に注文が殺到して、楽天デイリー女性ランキングでいきなり5位に!
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5月に横浜ウォーカー 6月には朝日新聞で紹介されました。
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2005-03-29 20:22:20
「ロマンス小説の七日間」三浦しをん [ 本の感想 ]
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私が大好きな三浦しをんの、書き下ろし恋愛小説です。
あかりは、海外ロマンス小説の翻訳をしている28歳の独身女性。ボーイフレンドの神名(かんな)と半同棲中です。突然会社を辞めてきた神名に振り回され、さらに共通の友達まさみから意味深な相談を持ちかけられ、心は千々に乱れる日々。
そんなささくれだった気持ちのまま、翻訳を続けていたら、ハッピーエンドに終わるはずの中世騎士と女領主は、どんどん本筋から離れていって、騎士は討ち死にし、女領主は子供を身ごもってしまい、一体どうなってしまうのか、誰にも予測がつきません。
現実は小説に、小説は現実に影響されて、やがてとんでもない展開を迎えるという、注目の作家が書き下ろす新感覚恋愛小説、です。
「注目の〜」というところは文庫本の売り文句ですが、こうやって書いてみると「新感覚恋愛小説」って何なんでしょうね?。私は恋愛小説って銘打った物をあまり読んだことがないんですけど、恋人同士が出てきて、二人の間に波風が立てば、それでもう恋愛小説っていうなら、たいていの小説は恋愛小説と言えなくもないです。
この小説に出てくるあかりと神名は、気があって付き合って、半同棲と言えるくらいに一緒にいるのに、結婚を考えているようでもありません。このあたりが「新感覚」と言えなくもないですが、神名があかりに何の相談もなしに会社を辞めて来ると、「でへへじゃないでしょ、辞めてどうすんの。え、どうすんの!」と動揺しまくるところなんかは、やっぱり男と女。結婚してなくても、結婚する予定がなくても、やはり男が仕事を辞めると、途端に不安になるのが、女心ってモンです。
そう考えると、あかりと神名や、もう一組出てくるまさみと元彼のリョウタは、今の時代に、どこでも居そうなカップルで、彼らがぶつかる問題も、心の中に巻き起こる不安や葛藤は、いつの時代でも通用する普遍的なものだと言えます。そのおかげで、読む人は簡単に登場人物に共感することができて、物語にすっと入って行くことができるのです。
三浦しをんのエッセイなどに見られる、親しみやすい語り口や、自分で突っ込んで、自分でボケるような、楽しい心の葛藤なども見られたり、翻訳小説に「オリハルコンの剣」なんて出てきて、それがさらに「わかった、海のトリトンだ。ゴー、ゴー、トリトーンなんて歌まで歌ってくれちゃうと、アニメファンとしてはうれしい限りです。
神名は会社を辞めたあと、ビルマあたりに2年くらい行きたいと言い出し、またまたあかりを戸惑わせるのですが、どうしてビルマに行くことに決めたのかを語るところ。
神名はもともとプロ野球選手を目指していたんだけど、高校生の時肩を壊して断念した。それまで野球以外のことを考えたことがなかったので、それから就職しなくちゃいけないとか、生きるためには仕事をしなくちゃならないといった、普通の人が当たり前に考えることを、その時初めて考え始めた。プロ野球選手になろうと決めて7年。そして普通に就職して7年たって、なんか違うというか、ごめんやっぱり上手く言えないや・・・。
そう語る神名に、神名の言葉が足りないところを、心の中で補ってあげて、納得しようとするあかりの思いやりが、とても印象的でした。
結局神名は、半年後の冬にビルマに旅立つことになり、翻訳小説は勝手に筋を変えてしまって、やり直すしかなくなってしまうのですが、二人の仲は元通りというか、以前より1歩進んだところで落ち着いたところでお話が終わっています。
この先二人の仲がどうなっていくのかは、まったく見えてこないのですが、少しお互いを理解できた二人なので、きっと嵐が来ても、以前よりは上手に乗り切っていけるのではないかという期待をもたせる終わり方でした。
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2005-03-26 19:35:51
「夢のような幸福」三浦しをん [ 本の感想 ]
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私の大好きな、三浦しをんのエッセイ集です。今回の物は、これまた私が大好きな吉野朔実のイラストが使ってあって、こりゃもう買うしかない!って感じです。でも、実際にはお金を出して買ったわけではなく、図書館で借りて読みました。お前の「大好き」ってーのは、その程度か。身銭を切って、自分だけの本を手元に置きたいとは思わないのか?、え?、どうなんだ。と問いつめられたら、答えに窮してしまいます。
「そんなのは、本当に好きっていう事じゃないわ!」って、舞衣ちゃんに言われそうです。いいんだもん。そんときゃ、「じゃあ、ホントに好きってどういう事なんだ〜!」って命みたいに叫ぶから。(すいません、オタクな会話で。分かる人にしか、分かりませんね。ハハハー)。
言い訳はこのくらいにして、内容ですが、いつもの三浦しをんのエッセイと同じく、オタク街道をまっしぐらに突き進む三浦しをんの生態が、赤裸々に描かれていて、とってもとっても面白いです。
こういったブログの感想に作者の名前を書く時、なんて書けばいいんですかね。「三浦しをん」と全部書くのも面倒くさいような、大仰のような気もするし、「三浦」と呼び捨てにするのも失礼なような。「しをん」と名前で呼ぶほど親しくないし、っていうかまったく知らない人だし、「三浦氏」、堅いな。「しをんちゃん」、親しすぎ。「三浦さん」、会社の同僚みたい。あー、こんなこと書いていたら、余計に混乱してきました。決めた。「三浦しをん」で行きます。
一連のエッセイを読むと、マンガの話題がよく出てきて、三浦しをんの家には、大量のマンガの蔵書が眠っているようです。その種類も「ガラスの仮面」から「愛と誠」を経て、「サイボーグ009」に立ち寄って、「ワンピース」に途中下車して、いったいどこへ向かっているんだろう?。
1976年生まれだから、今年で29歳。まだ若いのに「愛と誠」なんてよく知ってるモンです。私が中学生の頃連載されていたマンガですよ。私は中学生の時、愛と誠を読んで「高校生っていうのは、こんなに激しい恋愛をしているものなんだ。大人だなあ」と思ったものです。自分が高校生になってみると、愛と誠の世界とはまったく違って、引き続き中学生のままの生活を送っていて、愛と誠の激しい恋愛の世界はどこにもなかったですけど。
マンガの話題だけでなく、三浦しをんの日常生活は楽しいオタクライフに彩られていて、「ロード・オブ・ザ・リング」のヴィゴ・モーテンセンにハートを射抜かれたり、バクチクの追っかけをしてみたり、その話題はとても豊富で、くだらない話しにも事足りず、彩りに富んでいます。
楽しい友人関係の話はたくさん出てきますが、男、男性関係の話は、ほとんど出てきませんねえ。意識的に避けているのか。こんなに聡明で、話題豊富な女性を、男が放っておくはずがない。もちろんエッセイにそんなことは書けない。男の影も形もないところで、若い女性の共感を得ているのに、彼がいることが知れると途端に反発に変わるのを、見越しているのかも知れません。イヤ、そうに決まっている。そうに決めた。「私に彼なんて、できるはずないじゃん」「一生、結婚せずにいようね」と誓い合った仲でも、彼ができると、あっという間に約束は反故にされてしまい、裏切られた〜とほぞを噛むという女性心理を巧みに利用した戦術かもしれん。三浦しをん、侮りがたし!。
なんて深読みしすぎですか。とっても楽しいエッセイです。お金のある人は、買うように。
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2005-03-12 15:42:18
「トリップ」角田光代 [ 本の感想 ]
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「対岸の彼女」で直木賞を受賞した、角田光代の作品だったので読んでみたのですが、なんだか気が滅入ってしまう本でした。
ありふれた団地に住む人達の姿を描いた、短編で構成されています。その中のある短編の登場人物が、他の短編にも登場していて、同じ世界の中での出来事として綴られているのですが、登場人物同士は、何らかの関係を持つことはなく、あくまで登場人物自身から見た他人として描かれています。
この小説の登場人物達は、そのほとんどが救いようのない人達です。前向きな希望とか、社会の役に立つとか、そんな明るい人生はどこにもありません。ただ無為に毎日を過ごし、まわりの出来事や自分の感情に振り回され、不満たらたらで自分勝手に生きている人達です。
でも、それが私達、ほとんどの人間の現実の姿なんでしょうね。テレビや映画や新聞など、マスコミで語られる、あるべき人間の姿とはかけ離れた、等身大の姿。そんな姿をまざまざと見せつけられると、多分それが当たり前なんだろうなと思いつつも、ため息をつきたくなるような、虚しさに襲われます。
その中で、私が最も共感できたのは、ストーカーもどきの生活をしている若い男の話しです。彼は、大学時代に同級生だった淀橋君子の事が好きだったのですが、女の子と気軽に話せる性格ではなく、1対1で付き合うなんて思いもよらなかったので、大学生の時から、友達に夕飯をおごったりして、君子が好きな物や、いま付き合っている男のことなどを調査していました。
大学を卒業してからも、友達を通じて調査はしていたものの、そうそう暇な友達もいなくなってしまい、自分でしなくてはならなくなります。まあ、しなくてもいいんですけど。
彼の人生における選択は、すべて君子を中心にして、決められています。君子が住んでいる町にアパートを借り、仕事は自分が食べていけるだけの収入があればよくて、君子を観察する時間をとられるのは困るので、自宅でできる通信教育の添削をやっています。
彼は、君子の家が見える喫茶店で時間をつぶし、君子が立ち寄る総菜屋でコロッケを買い、君子が散歩をするコースを歩きます。そして1日の出来事を、丹念にノートにつけ、「今日は君子とすれ違ったから10点」などと1日の評価を採点していたりします。「その几帳面さを、何か別なことに生かせよ」と言いたくなってきますが、それができないから、こうして君子の観察に明け暮れているんですが。
現実にあり得ないアニメなんかに夢中になって、感想なんかブログに書いて、整理したりしている私と、どこか似ているような気がして、ちょっとシンパシーを感じてしまいました。
特に危害を加えるわけではなく、君子と接触を持つわけでもなく、ただ観察しているだけで、害があるわけではありませんが、女の人からすると、気持ち悪いでしょうね。女の敵って言われそうです。
ある日、本屋でDVや家庭内暴力の本をたくさん買い込んでいる君子を見つけて、彼はショックを受けます。君子は、家で亭主から殴られているのか!?。うろたえて君子に近づきすぎたところ、目が合ってしまい、「え?、もしかして、大学のとき、ほら、一緒だった、私よ、淀橋君子よ」と突然の再会を果たしてしまいます。
喫茶店で話しをして、ビールを飲んで、たわいない話をして分かれただけなのですが、彼の人生に大きな転機が来たような、来ないような、話しでした。
ちなみにDVの本は、今度小説を書こうと思って、資料を集めているんだそうです。な〜んだ。
お話は、短編なんでここで終わっています。これから彼と君子との間にどんな新しい展開があるのか、それとも何もないのかは、まったく分かりません。、当の彼は、「今日の出来事は、久々の10点、いや15点にしてもいいか?。それともマイナス8点かな」などと考えている始末です。
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2005-02-20 16:06:28
「十二月のひまわり」白川道 [ 本の感想 ]
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「ハードボイルド小説」というものを始めて読みました。著者の紹介文に「ハードボイルドの新旗手として注目されている」とあるので、ハードボイルド小説なのでしょう。なんとなくハードボイルドといえば、探偵ものや、ミステリーや、銃で撃ち合ったり、人が死んだりする小説のことかと思っていました。
五編の短編小説からなっていて、そういう雰囲気も持っていますが、いつも殺人事件が起こるわけではありません。
文体が簡潔で、余計な修飾語が極力削り取られているので、スッキリした印象があります。
子供の頃からの親友との数奇な関係や、貧しかった家庭から抜け出そうとして、悪戦苦闘した人生のことなどが、淡々と描かれているのですが、そのことがかえって人生の悲しみを浮き彫りにして、胸に迫ってきます。
競輪で生活費を稼ぐ人達の姿を描いた「車券師」が特におもしろかったです。私のまったく知らなかった世界で、世の中にはいろんな人間がいるものだなと、あらためて思いました。これが本当なのか、著者の創作なのか分かりませんが、かなり取材して真実を書いているのではないかと思わせるほど説得力が強いです。
昔は、全国の競輪場で競輪選手の体調、走り具合、人間関係など、あらゆる事に渡って調査を行い、その情報を元にレースの予想を立てて、勝負をしていた。その情報こそが、車券師の武器であり、素人に真似のできない世界だったのですが、最近では、ケーブルテレビなどの放送で、全国どこの競輪場のレースでも見ることができ、素人にも貴重な情報が簡単に手にはいるようになったため、車券師の活躍する場所がなくなったそうです。
また、競輪がいわゆる賭博であり、やくざな世界だったときは、競輪選手の実力にもばらつきがあり、予想するのが比較的容易だったのが、競輪が一般的になり、優秀な才能を持った人材が競輪選手になり始めると、勝負の分かれ目は、実力の差ではなく、時の運に左右されるようになって、予想が困難になったとあります。
それが本当なのかどうか私には分かりませんが、その世界に生きて、勝負にすべてをかけた男達の姿は、のめり込まなくては生きていけない男のサガを見るようで、感動的です。
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2005-02-19 18:34:03
「東亰異聞」小野不由美:著 [ 本の感想 ]
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「十二国記」が大人気の小野不由美が書いた怪奇ミステリー。1994年に刊行されています。
ビルから人を突き落とし全身火だるまで姿を消す「火炎魔神」。夜道で辻斬りの所業をはたらく赤姫姿の「闇御前」。人魂売りや、生首遣いなど魑魅魍魎が跋扈する夜の帝都東亰。
一連の奇怪な事件を追っていた新聞記者平河は、鷹司家のお家騒動にたどり着きます。平河とその親友の万造は、被害者の中に元摂関家の鷹司家の関係者がいることに気付き、鷹司家の次男、常(ときわ)を訪ねます。
鷹司家の先代煕通卿には、正妻初子に子がなかったため、側室に産ませた子に家督を譲ることになります。長男の直(なおし)は初子から疎まれ、次男の常を手元に置いてかわいがります。三男輔(たすく)、四男煕(ひかる)は別宅で育てられ、それぞれに家督相続の権利は有しています。
長男直は、摂関家の家督を継ぐには、あまりに気ままに生きてきた人で、民権運動に参加したりして、家督を継ぐとは思われていません。
次男常は、優しく品があって、体面的にも家督を継ぐにふさわしい人物ですが、次男であり、また菊枝という芸者上がりの女がいて、それをふさわしくないと言う者もあります。
この二人をのまわりに出没する火炎魔神と闇御前、人魂売り、生首遣い。この世に妖怪変化などいるはずがないとすれば、これらのものは、みんな人が作りだしたもの。闇を払うように事件の核心に迫った平河の前に、意外などんでん返しが待っています。さすがに小野不由美。ありきたりの謎解きでは終わりません。
家康公が江戸湊に都を移してから300年。江戸は東亰と名を変え、海を浸食するように地勢を広めてきました。開国、文明開化によって、世に開かれたと思われた東亰が、逆に魑魅魍魎の跋扈する世界に引き戻されていく様は、現代の大都市東京が闇に飲み込まれていくのを見るようです。
読んでいて、すんなり映像が頭に浮かんでくるくらいなので、いつかアニメ化されないかな〜。
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2005-02-18 21:26:48
「辞めるな!キケン!!」森永卓郎:著 [ 本の感想 ]
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「年収300万円時代の到来」を盛んに主張している森永卓郎の本です。結構テレビにも出ていますね、この人。最近よく見かけます。1957年生まれだから48歳。経済企画庁総合計画局などを経て、UFJ総合研究所の経済・社会政策部部長兼主席研究員をしています。
ベストセラーにもなっている「年収300万円時代の〜」「非婚のすすめ」などと基本的な主張に変わりはありませんが、ポップな装丁と読みやすい文章で、気軽に分かりやすく読める本です。
これからサラリーマンは、年収1億円以上を稼ぐスーパーサラリーマンと、年収3〜400万円の普通のサラリーマン。年収100万円のフリーターの3つに分かれるとしています。
現在のサラリーマンの平均年収は6〜700万円ですから、それから考えると半減になってしまいます。成果主義が会社に浸透するにつれて、成果を上げられず、特別な才能を持たない普通の人達の年収は、どんどん下がっていくしかないそうです。
著者は、「それに対して悲観することはない。年収300万円でも十分楽しく暮らしていける」と説いています。年収300万円で楽しく暮らせるかどうかは、人それぞれでしょう。アマゾンの感想欄には「年収300万円で楽しいわけがない。生活が一変してしまう」と批判する意見も載っていました。
誰でもそうでしょうけど、年収が多ければ多いほどいいに決まっています。けれども、300万円しか得られない状況になってしまったならば、それに合わせて生活するしかありません。それに納得できないからといって、怒ってみたって自分の年収は増えません。転職して収入を増やす実力のある人はすればいいけど、甘い言葉に誘われて転職したって、世の中そんなに甘くはありませんよと言っているようです。
著者の主張に感じられるのは、アメリカ型の成果主義、弱肉強食の資本主義社会に対する疑問です。日本では、あたかもそれが理想の姿であるように、猫も杓子も「成果主義だ」「実力主義だ」「自己責任だ」「年功序列は古い」「競争の時代だ」と主張していますが、それで得をするのは誰なのかということです。ごく一部の才能のある人は実力を発揮して高収入を得るでしょうけど、大多数の普通の人達は、どんどん貧しくなっていく世の中が、はたして理想の姿なのかという疑問から出発しています。
この本を読んでいると、「古い」「時代遅れだ」と言われている、年功序列の横並び社会の方が、幸せに暮らせるんじゃないかと思ってしまいます。
しかし、私達サラリーマンにその流れを変える力などなく、時代の流れに飲み込まれるしかありません。ならば、時代に踊らされて、体を壊すほど働かされるよりは、多少年収は減っても楽しく生きた方が幸せだよっていう主張は、私の生き方と見事に合致しています。
著者のいう「日本もラテン社会を目指せ」「有給休暇、みんなでとれば景気回復」「マニアックな趣味が、身を助ける」といった主張は、日頃私が考えていることです。
「おいしいものを食べ、素晴らしい音楽を奏で、美しい人と恋に落ちる」このイタリア人の生き方こそが、私の理想の生き方!。
90年代に国家破綻にまで陥ったイタリアが、2000年には2.9%の成長を遂げるまで回復したのは、中小企業の知的創造力だといいます。人生を楽しまない人に知的創造はできません。
「人生を楽しむこと」。これこそ生きている証。元気の源ではないでしょうか。会社にすべてを捧げても、会社はもうあなたの面倒を見てくれません。それならば、せいぜい会社を利用して、楽しく生きましょうよと言っているようです。
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2005-02-13 17:51:06
「乙女なげやり」三浦しをん:著 [ 本の感想 ]
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これは、愛と感動の日常エッセイである。というのは嘘である。という書き出しで始まる三浦しをんのエッセイ集です。著作権エージェントであるボイルドエッグズのウェブマガジンBoiled Eggs Onlineで連載中の「しをんのしおり」も面白かったけど、こちらの方もたいそう面白かったです。
三浦しをん、1976年生まれだから、今年29歳になります。エッセイの中では、「もう若くない」風に書いていますが、どうしてどうして、まだ20代じゃないですか、若い若い。
若いのに、世の中のいろんな事に対する観察眼は、とても鋭く、発想は個性的です。
マンガを集め、バクチクのコンサートに繰り出し、ヴィゴ・モーテンセンに狂い、妄想をたくましくする日々を、もう一人の三浦しをんが、せっせとノートに書きためているかのようです。
それを出版社に持って行って、ハイ今月のエッセイできあがりです!。って知らない間にエッセイができあがっていたりして。
何がおもしろいかって、この止まるところを知らない妄想が、面白いんですよ。それをまた、仲間内で話し合って、どんどんエスカレートしていって。こんな妄想につきあってくれる、というかお互いに妄想たくましくする友達と、下らない話題に時間をつぶすのって、なんかいいですね。
そんな、下らなそうな話の間に、人生の機微に触れるような言葉が交じっていたりします。
いつまでも、弟の世話をする癖が抜けないことを書いた文章のあとに、「これは群れで生活する動物のサガなのか。あるテリトリー内での順位づけというか役割分担ができてしまって、それに則って日常生活を演技する。演技するだけの余裕や情熱がなくなってしまうと、共同生活は上手くいかない。演技できるかどうかによって、愛情が持続するか終息するか決まるんじゃないかと思う。」なんて達観したような、それでいて鋭い言葉があるのですよ。
そうかやっぱり演技は大事なのか。でも自分の場合、どこまで演技なのか自分で分かんなくなっちゃうんだよな。
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2005-02-11 17:15:13
「野ブタを。プロデュース」白岩玄:著 [ 本の感想 ]
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作者は1983年生まれなので、22歳。若いですね〜。私の歳の半分くらいですよ。それがこんな小説書いちゃうんですから。「その半分の年月なにしてたんだ、お前は」って言われてしまいそうです。
主人公桐谷修二は高校2年生。そこに転校生がやってきます。それが小谷信太。通称野ブタです。信太は「野ブタ」と呼ばれるとおりのご面相で、デブで不細工で、近眼で、汗かきで、まったく取り得なく、前の学校もいじめられて転校してきたのでした。学校が変わったからといって、本人が変わるはずもなく、転校早々いじめられます。
ふとした偶然からいじめられる信太を助けた修二は、面白い退屈しのぎを思いつきます。信太をいじめられっ子からクラスの人気者へと変身させる。そのプロデュースをオレがするんだ。
ワカメヘアーを坊主にし、いじめっ子にはひたすらヘイコラし、クラスの笑いを取って、信太は人気者になっていきます。
一方いつも自分を出さず、おもしろくて適度な「いい奴」を演じてきた修二は、リンチにあっている友人森川を、彼と分からず助けなかったことから、「口だけの奴」としてクラスから無視され始めます。
いったん失ったクラスの信頼は二度と取り戻せず、修二は転校する羽目になりました。
テンポのいい文章で、軽快に読めてしまいますが、私にとっての読後の印象は、かなり重いものでした。
修二は、クラスのみんな、教師、ガールフレンドのマリ子、すべてを信じていません。自分は着ぐるみを被って、おちゃらけているんだ。適度にみんなを笑わせておけば波風も立たないし、誰にも嫌われない。自分が他人と合わないからって、一人の世界を作ってしまう奴、そんな奴は弱すぎる。そんな物は、全部かわして生きればいいんだ。
多分修二には、まわりのみんなが考えている事なんて、すべてお見通しなんでしょう。そしてどんな発言をしたらどんな影響がでるか、どんな行動をすればどんな反応が返ってくるか、すべて分かってしまうのです。
そのくらい、観察力のある人間なら、すぐに分かることです。自分の行動は、みんなと適度な距離を保ち、気持ちのいい場所を確保するために捧げられるのです。
修二のように極端でなくても、人間なら誰でもこういった行動を取るものです。周囲に受け入れられる行動を取り、その場の空気を読むというのでしょうか。たとえそれが自分の本心とは違っていても、保身のための発言をすることなど、日常茶飯事です。
ですが、本当の自分を隠し続けるとなると、とても気骨が折れるので、普通の人は修二ほど極端に隠したりしません。隠そうとしても、修二ほど上手くやれないので、わがままや自己中心的なところや、甘ったれなところなど、自然に元々の性格が出てしまうものです。
自然な自分を受け入れられれば言うことありませんが、信太のように、そのままの姿でいじめ続けられ、誰からも嫌われるならば、みんなに好かれるよう自分を演出するしか、生きていく道はありません。
他人との適度な距離。人間はそれを得るために、自分を出すことと自分を演出することの間で、生きています。
マリ子との関係においても、修二は近すぎず遠すぎず、適度な距離に安住しようとします。それは悪いことなのか?。修二の問いは、そのまま私の問いでもあります。
雨に降られた野球場で、近寄ってくるマリ子の手をふりほどき、心の中で「やっぱり俺はお前のこと好きじゃない。俺の中に入ってくんなよ。おまえは俺のなんだ」と叫びます。
修二が、森川のことでクラスから浮き上がって辛かったとき、マリ子に「私は、そんなことで、修二君のこと、嫌いになったりしないから」と言われます。マリ子にすがろうとしていた修二でしたが、自分がマリ子から信じられていなかったことに取り乱し、「何も知らないくせに、分かったような口きいてんじゃねえ」と暴言を吐いてしまいます。
自分を分かってもらおうとせず、調子のいいことだけを言って、適度な距離の中に安住しておいて、いまさら信じられてなかったことに絶望するなんて、人間ってなんて自分勝手な生き物なんでしょう。
では、修二が日頃から自分をさらけ出していれば、マリ子の信頼を得られたのか?。そんなはずはありません。多分、つきあうことさえできないでしょう。そう思うのは、私の人間不信でしょうか。
「やっぱり俺は、お前のこと好きじゃない」と本心を打ち明ける人間を、愛する人があるでしょうか。信じる人がいるのでしょうか。
本当の自分が受け入れられないならば、受け入れられるよう、自分をプロデュースするしかありません。
「俺が欲しいのは適度な愛情だ。どうやったって消えはしない寂しさと虚しさを仮に埋めるだけの薄っぺらい愛情だ。だから誰も俺の中に入ってこなくていい。どうせ孤独は埋まらないんだ。愛してるって抱きしめたって、抱きしめられたって何一つわかりやしない。いつだって疲れて、虚しさに苛まれるだけだ。」
この言葉が、私の頭から消えません。
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「野ブタを。プロデュース」白岩玄:著 | Permalink | コメント(26) | Trackback(0)
2005-01-26 18:46:05
「池袋ウエストゲートパーク」石田衣良:著 [ 本の感想 ]
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ドラマになっていたんですね。まったく知りませんでした。ドラマを見ないもので。でも、ドラマにしたくなるようなストーリーですね。
石田衣良のデビュー作で、平成9年の第36回オール読物推理小説新人賞受賞を受賞している作品です。「池袋ウエストゲートパーク」「エキサイタブルボーイ」「オアシスの恋人」「サンシャイン通り内戦」の4編からなっています。
とてもキレのいい文章。テンポ良く展開するストーリーは、ページをめくる手がもどかしいほど、引きつけられてしまいます。
扱っているテーマは重たくて、救いようがないものなのですが、そんな悲壮感をまったく感じさせません。それどころか、池袋ウエストゲートパークに行ってみたくなる気にさえさせてくれるのは、著者の力量なのでしょう。
「池袋ウエストゲートパーク」
主人公マコトが、池袋に集うGボーイズの助けを借りて、仲間のリカを殺したストラングラーを捕まえるというストーリーですが、捕まえたストラングラーは、ただの危ないSM趣味の男で、実はマコトの仲間だったヒカルが、売春組織の元締めをやっていて、発覚を恐れてリカを殺させたのだと分かります。
マコトが活躍してストラングラーを捕まえたという、単純なストーリーで終わらせず、大蔵官僚の娘のヒカルが、実は幼い頃から性的虐待を受けていて、同じようにアル中の家庭に育った「ドーベル殺しの山井」と一瞬で通じ合うところなど、少年少女達の病理にあるものに、鋭い考察があって、物語に奥行きを持たせています。
「エキサイタブルボーイ」
失踪したやくざの娘「姫」捜しを依頼されたマコトが、羽根組の下っ端「サル」と一緒に、犯人捜しをします。サルとマコトは中学の同級生。臆病で、不良達の使いっ走りをさせられていたひ弱なサルが、いつのまにか組員になっていました。
姫に一方的にコケにされながらも、憧れていた姫は殺されていて、サルは一人で犯人の後始末をつけます。
非情な社会でしか生きる場所を見つけられない、サルの悲しみが胸に迫ります。
「オアシスの恋人」
風俗店で働く、マコトの同級生千秋の恋人のイラン人が、千秋にスピード漬けにした売人ヘビーEのヤクを燃やして逃げています。そのイラン人を逃がしてやるために、マコト達あきれたボーイズが活躍し、池袋にはびころうとする暴力団と麻薬の売人を一掃する話です。
「サンシャイン通り内戦(シヴィルウォー)」
池袋に勢力を広げてきたRエンジェルスとGボーイズの抗争ドラマ。Rエンジェルスを焚きつけて抗争をエスカレートさせる大阪の暴力団京極会のの陰謀を少年少女達の前で暴露し、元の平和な池袋を取り戻そうとする、マコト達あきれたボーイズの活躍を描きます。
池袋を取材するフリージャーナリスト加奈と、マコトの初恋が胸を打ちます。お互いに利用しあいながらも、惹かれていき、短い間に燃え上がる若い恋心は、甘い陶酔を伴いながらも、ほろ苦い結末を迎えます。
恋愛や事件を通して成長していくマコトの姿が、妙な被害者意識など感じさせずに、クールに描かれているところが、大きな共感を呼びます。
私の読書室
「池袋ウエストゲートパーク」石田衣良:著 | Permalink | コメント(0) | Trackback(0)
2005-01-13 18:48:53
「人のセックスを笑うな」山崎ナオコーラ:著 [ 本の感想 ]
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不思議な題名といい、人を喰ったようなペンネームといい、なんじゃこりゃって印象でしたが、本作で第41回文藝賞を受賞しています。
1978年生まれなので、26歳。本の裏表紙についている写真では、著者はけっこう美人です。
主人公の磯谷は、絵を勉強している専門学校生。そこで講師をしている40前の人妻ユリとつきあっています。
ユリと出会って、つきあい始め、そして一方的に振られるまでを、磯谷の視点で語っています。一人称で語られているため、磯谷の告白というか、独り言のような印象を与えます。
特に目立った事件も起こらず、淡々とユリとのつきあいを中心とした、日常がつづられていますが、「オレ」の、若く未熟で不安定なんだけど、強がって生意気なことを考え、なんでもない風を、クールに装おうとしているところが、若い男の内面を感じさせますね。
「はっきり言って、オレは非常事態のとき力強く生き残れる自身がある。ユリはまごまごするだけだろう。そういうとき、オレの方がしっかりしているだろう。オレはそんなユリを守ることができるだろう。」
まったく、若い男にありがちな根拠のない自信なのですが、それが若い男の特徴であり、若さの特権でもあります。
「女の子は人を支えたりしない。気持ちがすぐ変わる。思ってないことをいう。そのくせ『察して』って言うのだ」
「それでも惚れてしまったら一緒にいるけど、決して信じない。自分をさらけ出さない」。
そうやって強がりながらも、ユリと楽しい日々を過ごしていますが、ユリは急に心を変え、なんの理由も話さないまま、学校を辞めてしまいます。
1ヶ月間、ミャンマーへ行き、そして帰国してから会ったユリの態度から、磯谷は、もう自分が必要とされていないことを悟りました。
やってきたのは、ありきたりの寂しさ。埋めようのない寂しさを抱えているうちに「寂しさというものは、ユリにも、他の女の子にも埋めてもらうようなものじゃない。無理に解消しないで、じっと抱きかかえて過ごしていこう」と気づきます。
それとて、自らそう決断したわけではなく、そうするより他に方法がなかったからでしょう。
「もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりの動作で自分たちの酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやってほしい」
のめり込むまいと強がっていたけれど、本当は失うことを恐れていた。失ってみると、ありきたりに寂しくてたまらなくなってしまった。それを解消するすべはどこにもなく、ただ受け入れて、寂しがっているしかありません。
振られたことに腹を立てたり、情けなくすがってみたり、虚しさを紛らわしたりしているんだけど、結構真剣にやってるんだから、笑わないでくれって、人生は自虐的に笑いながら神様にお願いたくなるようなもの、なんですね。
無駄のない簡潔な文章。淡々としていて、子難しい言い回しやロジックは徹底的に避けられています。必要なことが、必要なだけ述べられていますが、それってとてもすごいことだと思います。
オレ、磯谷が、考えめぐらすことは個人的なことなのですが、普遍的な要素を持っています。同じように磯谷に起こることは、とても個人的で、普通には起こりそうにないのですが、十分な普遍性を持っています。
そのため、読者は容易に登場人物に共感し、自分の身に置き換えて物語に入り込むことができるのです。それを簡潔な文章で、大して多くもない量で達成する作者の力量は、素晴らしいものだと思いました。
私の読書室
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2004-12-31 11:01:11
「しをんのしおり」三浦しをん [ 本の感想 ]
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「私が語りはじめた彼は」の三浦しをんが書いたエッセイ集。Boiled Egg O line に連載中のエッセイをまとめた、エッセイ集第3弾です。
このエッセイ、ハッキリ言って、とてもおもしろいです。三浦しをんの妄想力たるや、とどまるところを知りません。私達の何気ない日常に起こるあらゆる些事に、その妄想をたくましくして、妄想は妄想を生み、原稿用紙がつきるまで突っ走って行っちゃいます。
妄想する力というのも、立派な才能の一つなんでしょう。これだけくだらなくて(失礼)楽しい妄想が次々に浮かんでくるのは、好奇心の強さから来るものかも知れません。
そして、浮かんだ妄想を文章にする力。文章にするには浮かんだ妄想を、一度冷静に見つめ直さなくてはなりません。突っ走ったままの妄想は、そのままではどこか変なところにいっちゃったきりで、脈絡もつながりもなく、行方不明の糸の切れた凧状態になってしまいます。
その凧を現実に引っ張りもどして、誰もが「ギャハハハ」と笑える状態にする能力は並大抵のものではありません。
また三浦しをん自身が、妄想する自分を受け入れ、冷静に観察することができて初めて、本になったとき他人が読んでおもしろいかどうかの判断ができるというものでしょう。
そのオタクっぷりも、大好きなところです。マンガにはまり、宝塚にはまり、部屋がマンガで埋め尽くされようとするところなんか、とっても親近感を覚えます。
三浦しをん、1976年生まれか。2005年に29歳になるんですね。このまま妄想たくましく年を重ねていってほしいです。
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2004-12-28 20:40:06
「指を切る女」池永陽:著(その2) [ 本の感想 ]
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ここでは、4つの短編のうち「指を切る女」という題名の、表題作の感想を書きます。
唯子という女性と、幼なじみの直彦、吉やん、カンちゃんの3人の物語です。唯子は、情念の深い女とでも言えばいいのでしょうか、口数少なく、自己主張がなく、いつも諦めのいい諦観を持っています。それでも唯子は、整った顔立ちと、切れ長で大きな目が色っぽく、男の子に人気がありました。 成長しより色っぽくなった唯子は屈託なく直彦に接しますが、直彦は唯子から逃れるように東京の大学へ進学し、他の3人は地元でそれぞれ就職します。
直彦にとって、唯子は好きで好きでたまらない存在ですが、一方で直彦は唯子を恐れます。小学3年生の時、押入の中でしたキス。舌を入れてきた唯子に恐れおののく直彦。途方もない生の女にふれて感じた恐怖感が、その後の直彦の人生を支配します。
唯子が無理心中事件を起こしたあと、直彦はようやく東京から地元に帰ってきますが、唯子は遊び人のような男と結婚したあとでした。この夫は唯子に殺されてしまうのですが、直彦は死体の始末をし、一人になった唯子のめんどうを見ます。
幼なじみの美しい女を愛しながらも、言いしれぬ恐怖感を覚えて、東京に逃げ出し、それでも忘れられずに戻ってくる直彦は、「いつも肝心なときにいない」人生を送ってしまいます。
最初から唯子だけを見つめて、一緒になれば良かったのか、それともすっぱり忘れて二度と帰ってこなければ良かったのか。人の人生なんて都合良く判断できるものではありません。そのときどきの状況や、気持ち、体の具合なんかに左右されて、流されていくものなのでしょう。
私には直彦の取った行動は、まるで理解できないことばかりですが、女に対する恐怖感だけは共感できます。言葉で説明するのが難しい、女そのもの。理屈や損得や利害関係では割り切れない、深い情念の世界への恐れを感じることはあります。それは理解できないものへの恐れなのか、拒否反応なのか分かりませんが、危ないと知っていても、離れなられないのが、男なのです。
私が愛したアニメ
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2004-12-26 18:05:09
「指を切る女」池永陽:著 [ 本の感想 ]
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小説現代に掲載された短編を4つ集めたものです。「指を切る女」だけ、少し趣が違っています。
最初の3編は、心の中にいろんな問題を抱えた女性の話が女性の視点から描かれ、微に入り細に入った心理描写が、時に不可解な女性の心の動きを描き出しています。
悩み葛藤する女性達に対して、彼女たちを取り巻く男性達は、心の奥底まで描かれることはありません。主人公である女性の視点から描かれているので、当然のことなのですが、男である私からすると、そこがちょっと物足りないような気もしました。
「真夜中の紙芝居」の直子は、エネルギーをもてあましてか劇団に熱中し、岸谷と寝、子供を身ごもります。精子減少症で子供ができない夫の達夫は、そんな直子を静かに見つめるだけです。最後に直子は、岸谷と子供のことを達夫に話す決心をし、自分の中にどろどろと巣くうものと対峙するのですが、それを話される夫は、どうすればいいんだろうと思ってしまいます。
もちろん夫は夫で、感じたことを感じたように話して、やりたいように振る舞えばいいのでしょう。こんな浮気女とは一緒にいられないと思えば別れるし、寂しいから一緒にいたいと思えば一緒にいるし。どちらにしても、つらい選択であることに変わりがなく、どういった態度が男らしいのかも、私には分かりません。だいたい男らしい態度を取らなくてはと考えること自体、自分と向き合っていないのかも知れません。
「悲しい食卓」の洋介は、一流銀行員として出世するために美佳と結婚します。美佳には何も期待せず、食事も栄養を取るだけ。セックスも月1回あるかないかだったのが、ただひとつ貧しい子供時代に母が作ってくれた、お好み焼きを作って欲しいというだけ。
苦労して実家の義母にレシピを聞いてまでお好み焼きを作っても「味が違う」と言われるだけで、美佳を褒めることもしない洋介にうんざりしてか、美佳は調子のいい同級生の田村と浮気をしますが、一生懸命、洋介の気に入るように頑張る美佳の心の動きよりも、貧しい生活からはい上がって、銀行での出世を目指す、洋介の孤独に目が行ってしまいます。まるでロボットのように働く洋介を、癒すのは誰なんでしょう。
なんとなく思うのですが、男も女も癒してもらうことばかり考えているような気がします。自分の心の空虚さすべてを受け入れ、あるがままの自分を受け入れて欲しいと願っています。しかし、決してあるがままの他人を受け入れようとはせず、その思いはいつも一方的です。
もちろん、あるがままの他人を受け入れることは、決して生やさしいことではなく、どこかの流行歌の歌詞のように、「そのままの君が好きさ」と言っていれば、それで済む話ではありません。
他人を受け入れるには、自分自身に強さが必要です。強い心を持っている人だけが、他人に愛を注げます。心に空虚な隙間を持つ人、いつも愛を注いで欲しいと欲している人は、強い心を持つ人の愛を吸い尽くしてしまい、すっかり消耗させてしまうのです。
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2004-12-19 16:25:59
「私が語りはじめた彼は」三浦しをん [ 本の感想 ]
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大学教授、村川融。妻と娘、息子が一人ずつある男なのですが、彼は研究室の女子学生や、カルチャーセンターにやってくる主婦などと浮気を繰り返し、ついには離婚、カルチャーセンターで知り合った主婦、太田春美と再婚します。
この物語は、村川融をめぐる人達の物語です。それは離婚された妻であり、置いて行かれた息子、恋人を奪われた助手、再婚相手の娘であったりします。それぞれの思いが各章で語られ、村川融、本人が直接口を開くことはありません。
結晶:大学に届けられた、村川の素行を暴く怪文章の調査を依頼された助手・三崎が、村川の妻を訪ねる話。
残骸:村川に妻を寝取られた飴屋賢治の話。
予言:村川融の息子・呼人の物語。
水葬:村川の再婚相手・太田春美の娘・村川綾子が自殺する話。
冷血:村川融の実娘ほたるの結婚の話。
家路:村川の葬儀に出る三崎の話。
私が一番好きなのは、村川の息子呼人の話がつづられる「予言」です。いきなり父が離婚して家を出て行くことになり、呼人はショックを受けます。母も姉も、父がずっと浮気を繰り返し、そのうちの一人と一緒になることを知っていたのに、自分だけが何も知らなかったこと。そしてなぜ父は自分達を捨てて行ってしまったのか。
心にわだかまりを抱えたまま、バイクに乗り始める呼人。勉強はできるが足の悪い同級生椿との友情が、呼人を変えます。親友といった立派な関係ではなく、どこか稚拙でぶっきらぼうなところのある友情ですが、その椿の存在自体が、呼人が父や世間との折り合いをつけて生きる決意をする、きっかけになってくれます。
希望に満ちた「予言」の他は、どれも「愛」というものの不毛を感じさせます。村川の妻に言わせると、村川は「責任を負うことはしないけど、義務は己に課します。エゴイストですがロマンティスト」なんだそうです。自分にとっての真実の愛、より強い愛と求めて女から女へと渡り歩く、愛の放浪者とでも言ったらいいでしょうか。
最初に出会った一人を、永遠に愛していられたら、何の問題も起こらないでしょうけど、現実的にも理屈の上でも、最初に出会った相手が、必ずもっとも強く愛しているという保証は、どこにもありません。自分に正直に、より強い愛を求めていけば、より強い愛を持った相手を探して、とっかえひっかえ相手を換えることになります。結婚が愛の結実であるなら、誠実な人間ほど、結婚と離婚を繰り返さなくてはなりません。
村川に恋人を寝取られ、今また家に遊びに来る高校生と妻ができているか疑っている三崎は、愛に拘泥することから遠ざかろうとします。
「私は先生がたどり着けなかった場所を目指そう。先生が欲した物とは違うものを、私の欲するところとしよう。・・・私は妻にいう。愛ではなく、理解してくれ」
愛にこだわると、いろいろと悩み事が尽きません。相手の愛を疑い出せば、きりがありません。純粋に愛を見つめて生きられれば幸せですが、実際には人間は、愛を生きる拠り所にしたり、自己の存在証明にしたり、愛にすがって生きようとします。
純粋な愛に雑念が混じる時、愛は執着に変わります。そしてたいていの場合、人間は雑念の中で生きていますから、必ずと言っていいほど、愛しているのか執着しているのか、自分で分からなくなります。
いっそのこと愛から遠ざかって生きることができれば、それは自分自身が強くなければできないことですが、心の平安が訪れるのかも知れません。
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2004-12-18 17:53:55
「結婚帝国 女の岐れ道」上野 千鶴子、信田 さよ子 (著) [ 本の感想 ]
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題名からして、すごいインパクト。やはり結婚は、女の分かれ道なのか。男にとってはどうなんでしょう。あまり分かれ道だと思う人は少ないかも知れませんが、あとから考えてみたら、あれが分かれ道だったと思う人も多いかも。
信田さよ子の本は、よく読んでいました。精神障害者関係の仕事もしていたことがあるので、カウンセラーとしての信田さよ子の名前は、よく聞いていましたし、書かれた本の内容も、非常に素晴らしいものでした。とくにアダルト・チルドレン関係や、虐待、DV、家族の機能などへの考察はとても鋭く、感動的ですらあります。
その信田さよ子が、対談本を出した。相手はあの、上野千鶴子。フェミニストの第一人者。東大教授の上野千鶴子。どんな対談になるんだ!?。内容は、その期待と不安をまったく裏切らない、とても面白いものです。
「自分の性的決定権をやすやすと男に売り渡す、こんな愚かな契約をする若者がどうしても理解できない」と語り、あくまで他人に頼らず、他人から頼られることも潔しとしない上野千鶴子は、あくまで自分の意志と責任で生きることをもとめている。
しかし、それができないのが、現代の我々であり、情けなく悩める個人と向き合う信田さよ子の現実感覚と、上野の理想とするものをすりあわせていく過程が、本書の興味深いところです。
信田:「本当のわたし」とかね。踏みつぶしてやりたい言葉ですね。
上野:すごく過激なご発言ですねえ。
信田:「本当のわたし」ってきくとね、わたし、頭から角がキーッと出る感じがするんです。「本当のわたしなんてないと思うんですよ」とわたしが言うと、「ええっ?でも、今のわたしはニセの自己なんです」と言う。
こんな発言の応酬で進んでいきますが、あくまで対談集なので、一つの問題について徹底的に掘り下げ、起承転結をきちんと整理してあるわけではありません。それが読んでいてもどかしいところですが、丁々発止のやりとりは、整然と構成された読み物にないスリルがあります。
信田が書いている後書きに、我が意を得たりという下りがありましたので、引用します。
「ほんとの私を探したり、自分探しの旅に出たり、そのままの自分を好きになろうとしたり、こんな私でも癒してほしいと願ったりするエネルギーと時間があるなら、ためしに上野千鶴子の本を一冊読んでほしい。自分の「こころ」だけを見つめて「癒し」なんていやしい言葉を唱えているのは、気休めにキャベツの皮をむいているようなもので、出口はない、とわたしは思う。」
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2004-12-09 18:16:47
孤独か、それに等しいもの [ 本の感想 ]
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「孤独か、それに等しいもの」
吉野朔実のマンガに、双子のお話がよく出てきます。自分とまったく同じ人間が目の前にいるのは、どんな感覚なんでしょう。
このお話に出てくる双子の姉妹藍と茜は、完璧に自分と同じ人間として、閉じた輪の中で成長します。そして茜のアキレス腱断絶事故から、ふたりの間に差ができはじめ、茜は荒れていき、オートバイ事故を起こして死んでしまいます。
完璧に同化した双子の姉妹を出したのは、思春期にアイデンティティーを獲得する以前の、完璧感を持った子供時代を象徴するためでしょうか。
「私の苦しみはきっとこういう事だったのではないかと考える。私は茜という鏡の中にいるもう一人の自分のような妹を失った。その喪失感とだけ、私は私なりに必死に対峙してきた。でも、そうではなくて本当の苦しみは、茜の見る鏡の中に映り続けていたはずの自分自身を失ってしまったということではないかと思うのだ。人を失うということは、そういうことなのかもしれない」
人を失うことは、消えて亡くなる人、そのものの消滅に打ちのめされるのではなく、消えてしまう人が見ていた自分自身の消滅を意味するということでしょうか。妹を失ったのが苦しいのではなく、妹が見ていた自分が失われているのだ。
まったく曇りなく、完璧に自分を理解していた目がなくなってしまうことは、完全なる守護者からの自立を意味するのでしょうか。
人間は少しずつ、母や家族などの守護者からの目を閉ざして、社会からの目を意識するようになります。そして自分なりの、社会との折り合いの付け方を学んでいくのですが、そこにはいつも完璧だった子供時代の喪失感を伴います。その痛みを感じながら、人は大人になるのですが、急激な喪失感は、大きな痛みを伴い、時に耐えられなくなります。
喪失感に耐えられなくなった藍を救うのは、ヒロシ君との結婚。「八月の傾斜」でも、早津との結婚に光を見いだすようなラストでしたが、結婚とはまさに、自立の象徴でしょう。
現実的に、結婚することで、自身の問題が解決することなどあり得ないのですが、将来に光を見いだすイメージとして、結婚することをラストに持ってきたのかもしれません。
私が愛したアニメ
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2004-12-06 19:22:55
「孤独か、それに等しいもの」大崎 善生 (著)〜八月の傾斜 [ 本の感想 ]
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「八月の傾斜」
「私はきっと時間と共に失われていくすべてのものに怯えているのである。すべてを自分から奪い去っていく、時間という有無をいわせない力に」
大崎善生の名前は、まったく知りませんでした。図書館で、装丁の切り絵がきれいだったので、借りてみました。この「孤独か、それに等しいもの」の最初に収められている「八月の傾斜」は、「野性時代」創刊号で圧倒的な支持を集めた佳作なんだそうです。
最初は、若い女性に人気があるんだろうな、という印象でした。書店で平積みされていたのを見たような気がします。
簡潔な文章で、重たいテーマが、さらりとつづられています。若い女性の内面に迫りながらも、決して暑苦しくならずに、透明な印象を与えることができるのは、作者の力量の高さを表しています。
今日一日をかけて私は何を失っていくのだろう。何か大切なものを失って行くことだけは分かっているけど、それが何かは分からない。いろんなものを失ってみたら、それが何か、大切なものが何か分かるかも知れない。そう思って祐子は、大久保君とキスをし、ピアス穴を開け、名前もよく知らない男と寝てみて、世界が変わるかどうか試しているのかもしれません。
でも、世界は何も変わらず、相変わらず、自分は何かを失い続けている感覚は、残ったままです。
大久保君は言います。ぼくの手の中にある鍵は、君の世界を広げるためのものじゃない。それは、大久保君の世界を広げるためのものでしょう。誰か他人の手に中に、自分の世界を広げる鍵はないのです。
では、自分の手の中に鍵があるの?。でも、自分で「鍵を見つけた」と気付くことは、あり得ません。あとで考えたら、あれがそうだったかも、というくらいしか言えないでしょう。
祐子が早津と結婚して、大切なものの喪失感を克服できるなんて、私には思えません。結婚を承諾した祐子の気持ちと、単純に喜ぶ早津の気持ちの間には、なんて大きな隔たりがあることでしょう。そんな力は、早津にはありません。多分、世の中のどんな男にもないのです。
ここからは、ちょっとうがった感想ですけど、祐子と結婚する早津は、何だか、かわいそうですね。早津に祐子の本当の悩みは、百年たっても分からないでしょう。説明されたって分かるものじゃないし、それを実感するには、早津はまともすぎます。
恋の熱が早津を覆っているうちはいいけど、時間がたって冷静になると「よく泣く女だなあ」「なに考えてるんだろ?さっぱり分かんねえや」なんて思ってしまいそうですね。
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2004-12-04 18:00:51
山本周五郎「さぶ」 [ 本の感想 ]
さぶ新潮文庫![]() | さぶ新潮社 |
図書館で山本周五郎の「さぶ」を借りて読みました。山本周五郎は1冊も読んだことがなかったのですが、有名な作家なので純文学の人と思いこんでいました。経歴を見ると直木賞の候補に何度も挙がっていたけど、受賞を固辞したとあるので、大衆作家だったのでしょう。だからといって作品の価値が変わることはありませんが。物語が劇的に急展開するところなど、読者を飽きさせない工夫が施されていて読み易く、我慢して物語につきあうという苦痛なしに、自然にお話に入ってゆけます。
お話は、江戸時代の人情話と言えばいいでしょうか。腕のいい職人の栄二が、無実の罪で人足寄場に送られ、そこでの経験を経て、精神的成長を遂げるというものです。頭がよくて、けんかも強く、男前の栄二と、栄二を頼りにしている、ちょっと頭の弱い弟分の「さぶ」のキャラクターが、際だっていて、物語にメリハリを付けています。
無実の罪を着せられて復讐に燃え、世の中すべてに絶望した栄二が、怨念を乗り越えて心の平静を取り戻し、「才能のある者が、才能を発揮して1人前になるには、多くの無能な者や、周りの者たちの支えが必要なのだ。それを忘れてはいけない。」という言葉をかみしめるところなど、とても感動的です。
それと、栄二に惚れていたのに、栄二に「おせん」という相手がいたため、それとは言わず、ずっと英二を助けてきた「おのぶ」が、最後に「どうして私をもらってくれなかったのよ」と涙を流すところは、胸にぐっと来ました。
最後に、栄二に無実の罪を着せたのが、栄二の妻となったおせんと分かるところは、劇的な幕切れで効果的ですが、ちょっと私には理解できませんでした。「栄二さんを他の人に取られたくなかったのよ」と言いますが、後から考えるとつじつまが合わないような気がします。
読み易くて面白いけど、決して薄っぺらなものにはならないところに、山本周五郎の良さを感じます。「ながい坂」とか「樅の木は残った」とかも読んでみようかな。
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2004-12-02 19:18:21
「二人目の母親になっている日本の男たち」 [ 本の感想 ]
二人目の母親になっている日...![]() | 二人目の母親になっている日本の男たち主婦の友社 |
正高 信男 (著)
この本の題名を見た時、ずっと私が思っていたことが、そのまま題名になっていたので、すぐに図書館で借りて読んでみました。「二人目の母親になっている日本の男たち」。いま、日本の家庭に、父親はいません。実際に父親はいても、その存在感はまったく薄く、父親としての役割を果たしているとは、お世辞にも言えません。
で、父親の役割ってなんだ?。
この本によれば、「父親は、子供に社会性を与え、外の世界へ向けて一歩を踏み出す、後押しをする役割を担っているのです。」ということになります。その点では、私もまったく同感で、父親は、家庭にとって社会の窓(男だから社会の窓か・・・!?)になるものです。
具体的には、母と子供だけで動いている家庭のルールに、「世の中の常識」や「社会の一員として生きる方法」を吹き込むことです。それは、母と子のしあわせな一体感に、くさびを打ち込むことにもつながるので、母親からは、いい顔をされません。それでも父親の役割を果たさなくては、母と子は密着して、社会との接点を失ってしまうので、父親は家族から疎まれながらも、その役割を果たすしかないのです。
父親の役割を果たす人は、本当の父親とは限らないそうです。従来、日本の父親が、社会の窓としての役割を担っていたことはなく、地域社会や、大家族での生活の中で、誰かが社会の窓として機能していたんだそうです。
現代では、地域社会はすっかりなくなり、隣、近所で誰がなにをしようと、干渉しないのがルールです。家族も核家族が基本で、親との同居でさえも、あまり望まれません。
そうした中では、本来果たされてきた社会の窓としての役割を、本当の父親が担わなくてはならなくなってきたのだそうです。
この本には、その具体的な方策はほとんど示されていません。そこが読んでいて、少しイライラするところです。「子供に、社会性を与え、外の世界へ向けて一歩を踏み出す後押しをする」「自然の中で恐怖を教えよう」「子供を外に連れ出せ」「一緒に食事をしよう」「父親のことを子どもに語ろう」といったことが書かれていますが、子供に社会性を与えるとは、具体的にどういう行動のことなのか、それにはどんな障害があり、どんな反応が子供からあるのか、母親にどういう影響を与えるのか、といったことがまったく書かれていないので、いいことが書かれているのに、肝心の所に手が届かないもどかしさが、始終つきまといます。
さらに、ひきこもりや女性が結婚しなくなったこと、子供が切れやすいこと、パラサイトシングルが増えたこと、などに関する考察が、父親役が不在な事を原因として、あまりに安易に決めつけているところが多く見られ、「ちょっと待てよ、そんなに簡単に言い切っていいのかよ」という気持ちになります。
この本にも少しだけ書かれていますが、父親が果たす役割とは、やはり仕事をしている姿を子供に見せることでしょう。社会に出て、仕事をして、お金を稼いでいる姿を、子供が見ることができるなら、それがそのまま、子供に社会性を与えることになるのではないでしょうか。
それが現代では、まったく見えない状況です。父親は、朝早く家を出て、夜遅く帰って来て、休みの日は寝てばかり。子供が見る父親の姿は、疲れてゴロゴロしている姿です。そんな状況の中で、どうやって働いている姿を子供に見せればいいのか、私にもよく分かりません。この本にも、決定的な解決策が、載っているわけではありません。
しかし、母親と違う役割が父親にはあり、母親を手伝うことが父親本来の役割ではないということを、家族が分かっていれば、子供への接し方もずいぶん違ったものになるような気がします。

















